*** 2004年7月5日(月)〜5日目、神様と異邦人 ***

 9時起床。あまりに寝心地が良いので寝過ごした。すっかり忘れていたのだが、何と予約特典でホテル朝食バイキングがサービスになっていた。前半戦の旅行中で最も優雅な朝食だったのではなかろうか。

 10時過ぎにチェックアウトして、関西弁に包まれながら心斎橋から梅田へと移動。大阪駅から京都駅へ向かう。

 京都の宿は、道に迷っても帰れるように、駅前にある京都タワーの下のホテルにした。目立つ場所にあるが、けっこう年代物でくたびれた感じのホテルだ。
 フロントでは外国人4〜5人のグループ客が何やらもめていた。
 「ペラペ〜ラ、ペラペ〜ラ、ペラペラ〜ラ(イライラ)」
 あまりにベタな表現で気が引けるのだが、本当にそう聞こえるのだから仕方ない。困惑気味のフロントの雰囲気と断片的に理解可能な英単語から判断すると、どうやら旅行者側は予約していたはずだと言い張り、フロントは予約されていないと答えているようだ。
 いくら京都とはいえ、今はそれほど混雑していない時期のはず。何かの手違いで予約がうまくいっていなかったにしても、日本人だったら問題なく当日客として手続きできるのだろう。国内観光都市の女王・京都のホテルでも、やはり外国人相手には警戒が強いらしい。
 なおまくしたてる彼らを横目にチェックインを済ませる。チェックインは1時からだが、もう準備はできているので1時間早く入れてくれるとのこと。外国人グループに対して何とも申し訳ないというか、複雑な気分だ。ともあれ部屋に案内してもらったので、早速ラッキーコンビと作戦会議を開く。

 京都に来るのは三度目になる。前の二回は中学・高校の修学旅行だった。そのときは嵯峨・嵐山辺りがとりわけ気に入ったように思う。もう一度そこを訪れてもよかったが、行ったことのない場所も多く、目移りする。
 「なんやねん」
 「イルカが財布の中に入っていた鈴虫寺のお守りから聞いた話によると、おまえさんは銀閣に行ったことはあるが金閣はまだだそうだな」
 鈴虫寺のお守りは、確か二度目の京都行きの際、みの○んたまたはジャパネットた○たの社長並の手腕を持つ住職に半ば脅迫されるようにして家族分購入したものだ。
 「んー、中高の頃から地味好みだったんですよ」
 とはいえ数ある京都の史跡の中でも知名度トップクラスの金閣。ここらで行ってみるのもいいかもしれない。その周辺にあるところを回ることにしよう。

わら天神  ホテル前には京都駅バスターミナルがある。一日乗車券を買って金閣方面の市バスに乗った。京都市内は区画が碁盤目状に整然としており、バスはひたすら真っ直ぐに走る。途中で二条城前を通ったとき、そういえばここもメジャーだが一度も行ったことがないのに気づいた。明日行くことにしてこの場は素通り。
 わら天神前で下車する。ガイドブックに金閣近くだと載っていたので来てみたのだが、わら天神こと敷地神社は安産の御利益のある神社だった。……順序としては縁結びが先じゃなかろうか。まあせっかく寄ったので軽く挨拶して出る。後で知ったのだが、この境内にある六勝稲荷は必勝開運成功の守護神として崇拝されているという。安産より、今のところこちらのほうを願いたいところなのだが……気づかずに通り過ぎたよ。(酷)

鹿苑寺の陸舟の松  わら天神を出ると、徒歩で鹿苑寺に向かう。金閣寺は通称で、あの金色のブツは正式には鹿苑寺金閣という。大きな駐車場があり、観光バスがたくさん駐車してある。
 鹿苑寺に来ていたのは中国人ばかりだった。童たちが記念撮影をしているときのかけ声が「イー、アル、サン!(一、二、三)」というわたしにもわかる中国語だったので、むしょうに感動した。
 数年しても、わたしの嗜好はさほど変わっていないらしい。金閣の実物を見ても「ふーん」としか思わなかった。それよりむしろ目を引いたのは、金閣のすぐ側にあった陸舟の松。松が舟の形になっているのだ。樹齢は六百年だという。

龍安寺の鏡容池の睡蓮  金閣から徒歩で龍安寺へ到着。石庭とつくばい(お茶の客が手を洗うための鉢)で有名な寺だ。こちらには金髪集団がいた。たぶんアメリカ人だと思う。石庭を前に座し、しばしもの思いに耽る。が、近くでインテリそうな金髪にいちゃんが連れの女の子に異文化から受け取ったスピリチュアルメッセージについて感じたところを切々と語っていたので、気になって仕方なかった。
 「しょぼしょぼしょぼ、しょ〜ぼしょぼ、しょぼ(陶酔)」
 頼むから黙って感動してくれ。
 どうにも集中できなかったので、つくばいを見に行く。水戸黄門こと水戸光圀が寄進したというもので、「吾唯知足(われただたるをしる)」の四字の共通部分「口」を真ん中に据えたデザインになっている。庭に飾ってあるものはレプリカらしい。
 龍安寺には大きな池があり、睡蓮が咲いている。
 龍安寺の向かい側にはみごとな竹林がある。その中に休み処があるようだったので心ひかれたが、時間が時間なので先を急ぐ。

右近の橘  金閣から龍安寺、仁和寺へと続く道は「きぬかけの道」と呼ばれている。優雅な響きではあるが車の交通量が多く危険な道だ。びくびくしながら仁和寺へ。『今昔物語集』『古今著聞集』などの話に出てくる寺だ。龍安寺に長居しすぎた関係で、宸殿(しんでん)だけを急ぎ足で見ることにする。
左近の桜  北を上にして京都の地図を広げると、右京区は地図の左側、左京区は右側に位置している。宸殿の庭に植えられている「右近の橘」「左近の桜」も、正面から見ると左に橘、右に桜がある。
 これは「天皇(上皇)の視点」なのだそうだ。つまり宸殿の側から立って庭を眺めれば、右に橘、左に桜がある。

 仁和寺を出ると、バスで一度京都駅前へ。暑くてかなり疲れていたのでもうホテルで休もうかとも思ったのだが、例によって貧乏根性がジャマをする。喫茶店で小休止してから再びバスに乗る。

晴明神社  今度の行き先は……不謹慎だがネタとして、晴明神社。安倍晴明は平安時代、藤原道長のもとで活躍した陰陽師。式神を操るなどの妖術を使うとか、お母さんが狐だったとか、色々ウワサの絶えなかった人だ。映画『陰陽師』を観てすっかりハマった。マンガを読んでさらにハマった。小説はまだ読んでいないが、読んだら余計にハマるだろう。

一條戻り橋  晴明神社の側に一條戻り橋があるというので、そちらにも足をのばす。が、あまりのしょぼさに言葉もない。この橋のどこに晴明は式神を隠せたんだろう? この橋のどこで渡辺綱が鬼退治できるのか? ……この橋、再建されたうえ平安当時とは位置も違うらしい。

 それから祇園方面へとバスに揺られたが、広範囲の地図を持っていなくて道に迷いそうで怖かったので、三条大橋付近で降り老舗そば屋でそばを食べ、ホテルに戻ることにした。途中のバスで女子高生のかしましい京都弁を聞くことができた。
 それにしても。帰りのバスの中で、またもガイジンと隣り合わせになって揺られながら考えた。出雲大社に来ていたのは、たぶん全員日本人だったと思う。異邦人たちにとって日本のイメージというと、やはり平安以降の日本を色濃く示す京都なのだろうか。彼らは日本から神秘を感じ取っている。しかしそれは我々が考えるところの日本古来の神ではなく、むしろ仏(正確には仏閣、仏像など)とそれを取り巻く思想に彼らが目を向けた結果であるように思えてならない。彼らに神と仏の別を明確にすることはできるのだろうか?
 それはわたし自身にも言えることだ。ヨーロッパの神の変遷や民間信仰については第三者として比較的冷静な(というか冷やかし的な)目で眺めたこともあるが、日本の神と仏について客観的に考えることはせずにきた。
 神とは、仏とは、一体何なのか?

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